アニマルウエルフェア連絡会

人と動物との適切な関係づくりを考えます。
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動物愛護法見直しと動物基本法
 動物愛護法の見直しが慌ただしくなっています。今までの例では、「動物が人の役に立ち、人のために働く」などと位置づける、動物を供し供される立場の勢力の意見が数の力でしょうか?尊重される傾向にありました。
 純粋に「動物が命あるもの」などと思い行う人たちの、「人と動物との適切な関係づくり」などの意見は参考として「聴く」だけのことが多かったものでした。
 平成12年当時の動物保護審議会の委員会の報告に「(但し抜粋)犬及びねこの引き取りに係る殺処分等の施策に基本的に反対している者などこの動物愛護推進員の任務を果たすことが困難と考えられる者は同推進員への委嘱はできないと考えられる。(〜〜以下割愛)」、としたこの委員会は次のように続けます。「(※但し以下要約)動物愛護推進員の推薦母体となる協議会において、(殺処分に反対などの)行政の施策に反対している団体からの意見表明を妨げるものではない。」・・・と。平たくいい変えると、「協議会は意見を聴くが、とりあえずはトラブルを避けるため聴くだけで、(そのような意見の者は)協議会の構成員には不適切。」と受け止められます。しかし、改正動物愛護法施行後第一期の動物愛護推進員には「殺処分等の施策に基本的に反対している者」も含まれました。
 さかのぼること昭和50年には、法律に基づいて「引き取った犬やねこについては、飼養継続、飼養希望者又は所有者の発見に努める等できるだけ生存の機会を与えるようにすること。」という措置要項が各都道府県などに国から(通知)されていました。にも関わらず「殺処分等の施策」の徹底した実行が続きます。
 現在でも「飼養継続、飼養希望者又は所有者の発見に努める等できるだけ生存の機会を与える」措置要項を、役所自らによって積極的には行われずに、また一部の自治体では殺処分等の行政施策に反対する推進員やそのほかを対象に、具体的な飼養継続飼養希望者の発見に係るすべての業務一切を一括した丸投げ方式で行っている事例もあります。
 法の目的と、法の執行の間に何故かこのような整合性のとれない事態が日常的に多く見られます。分かりやすい例えをあげますと、犬やねこの繁殖制限や終生飼養の責務には、取扱業といえども適用除外のないことなどを、法の執行官であるほとんどの担当行政マンが知らされていないか、または知っていながら執行するシステムを作っていないものと思われます。
 我が国に「動物が命ある」などの法の精神にのっとって執行するための「動物基本法」がないので、折角できている動物愛護法の実行や執行もままならず、このような混乱が続くものと考えられます。

 以下はメルマガ「どうぶつネットにゅーす」2010.10.21日号 vol.87から全文引用
■◇ 動物が命ある(1) ◇■
 理屈ですが…(以下法律名は略称です。)動物愛護法上の愛護動物を鳥獣保護法上の狩猟鳥獣と決めて防除を目的に駆除しよう…、などと思うとき、環境基本法に基づく自然環境保全法を用いて、環境大臣の命令による国の審議会などが、数年間に渡る学術的専門的調査を繰り返した後、狩猟鳥獣を決めた鳥獣保護法のじゅん用が適切であるのかどうなのか…、などについて合理的な整合性を持って法の精神に従ったものと判断され得るとき、都道府県などの防除計画が討議される場合も想定される。…これはまさに法をザルにしないための理屈ですが、愛護動物の駆除計画が持ち上がった際に検討され、歯止めのかかったこともあります。
 平成17年に特定外来生物法ができ、生物多様性に関わる逸走ペットなどが原因の環境保全などについて、あらかじめの防除がやりやすくなったとも考えられました。例えばあらいぐまやフェレットなどを「野良」にしないために…、などです。しかし、ペット社会の隆盛は衰えません。平成5年の環境基本法の基本理念にのっとり、平成20年に生物多様性基本法ができました。外来動物などの規制については、環境基本法に基づく自然環境保全法を用いないままで、鳥獣保護法だけのじゅん用を後ろだてに狩猟鳥獣にして殺してしまうなど、従来の駆除に都合の良い解釈に変わり、まえもって保全の対策をする「防除」の方向にすすみつつあるようです。
 動物が命あるという「動物愛護法の精神」に近付こうと試みるとき、その前段にはたくさんの法律が立ちはだかります。起こってしまってから命を断つ「駆除」ではなく、まえもって飼わないことの「防除」には命の尊さも感じられます。

■◇ 動物が命ある(2) ◇■
 多くの場合、動物愛護法の対象動物の定義を「人が飼っているすべての〜〜」などと解説されている場合がありますし、環境省のパンフレットでもそうなっているようですが、必ずしもそうではないとする意見が評価されています。
 野良牛、野良馬、野良豚は聞くこともありませんが、万が一野良動物に遭遇した場合、所有者占有者取扱者などのいない、つまり人が飼っていない「牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる」の11種は、動物愛護法が対象とする愛護動物であるという判断が、同法第44条からできるからです。
 命はあるものの、その気持ちをはかり知るのが難しい愛護動物の「虐待」について、動物愛護法では明確に「殺す、傷つける」と決めており、この「殺傷犯罪」は所有者占有者取扱者などのいない、人が飼っていない愛護動物も対象です。所有者占有者取扱者などが動物の気持ちなどを思うときに、適切に餌や水を与えずに「衰弱虐待」させる犯罪の罰則は「殺傷犯罪」とはっきり異なっています。
 人と関わらない愛護動物であっても、その動物が命あるものであることを、人は常に考えざるを得ない現実の中に生きています。

■◇ 動物が命ある(3) ◇■
 例えば、動物愛護法の11種の動物に限ってみたときにすら、実験、畜産、展示、販売、産業、使役、取扱業などの動物のほか、さらに家庭動物の分野では、伴侶、愛がん=ペット、学校飼育、撮影などやそのほかのさまざまに分類されながらどんどん括り分けが進みます。
 昨日の実験動物が、明日は家族動物になってから手放され、数日後に展示されて、その後に取扱業のもとで販売されるかも知れません。動物が一義的に命あるものならば、たったひとつの動物愛護法だけで、人それぞれの都合によるあらゆる分野について適切な対応ができる道理が有る…、ものとはとても思えません。
 「動物が命ある」という動物基本法を、環境基本法、生物多様性基本法、さらに教育基本法などの基本理念にのっとって成立させない限り、人のために働き人の役に立つだけの動物を所有する人々にとって、すごく都合の良い法の見直しに進むことが、いつも通りに心配になります。

 …… (例えば、ひとつふたつ思いつくままに…) 動物基本法にのっとって、動物愛護法の事項に基づいた某地方自治体では、命ある動物にストレスを与えない目的から、商業地区で動物の販売を禁止する条例を施行した。同様に動物基本法にのっとった某地方自治体では、所管内に持ち込まれる動物数と役所の法規法令等執行計画とのバランスがとれないため、企業誘致の条件に「動物実験の罰則付禁止条例」を施行した。(…などなどは、)…… 果たして夢のまた夢、なのでしょうか?

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