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古くから知り合いの法律家は「人々が必要とするとき、使うヒトが使い易い法律が作られる」といいます。そこで、使うヒトの立場で考えました。(法律名などは略称や通称です。)
動物愛護法は概ね5年を目途に見直せることになっており、改正の時期に罰則の軽さが常に話題になります。法律や動物に造詣の深い有識者や専門家が個人の立場とした上で、その軽さの理由について従来より言及しています。
例えばの一つですが・・・
昭和48年施行の動物愛護法(旧保護法)に『ノネコ』という定義は無く、猫は所有占有取り扱い者がいない野良猫も法で守られる『愛護動物』ですから、殺そうとするヒトや殺したヒトが法で罰せられます。
昭和24年当時の旧農林省は、野良猫からヒトなどへの侵害を防ぐため、『ノネコ』の定義と『種』を専門学的な根拠のないままにねつ造し、鳥獣保護法で駆除防除狩猟等対象の『狩猟鳥獣』として名称を付し、同法に取り入れました。
(※概略解説の過去ログは http://nekodasuke.main.jp/fact/fact_noneko.html )
同専門家は『法は新しいものが優先』といいますので、野良猫がイエネコ種であるにもかかわらず『ノネコ』と付された猫を、時系列上からみると今はヒトが殺せない“愛護動物”という理屈も通ります。
旧農林省が付した『狩猟鳥獣のノネコ』は、古来から野生のヤマネコ種のツシマヤマネコとイリオモテヤマネコだけですが、逆にこの『種』は守られています。
この例のように、法の下で合理的な整合性をはかるとき、動物愛護法だけで動物をとりあげると無理が生じ、法を使う国民に混乱が生まれます。
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動物が対象の主務所管は愛護動物や狩猟鳥獣の環境省だけではなく、動物をヒトが使う態様により、文化・スポーツ・食肉・畜産・流通・教育・保健・災害・保険などのほか多岐です。
『動物が命あるもの』という原則は動物愛護法に少しだけ取り入れられているだけです。ヒトの命に値は付きませんが動物に値札が付き、ヒトのために働きヒトの役に立つモノと位置づける大きな勢力分野があります。
ヒトの命が守られることは、憲法や法律に取り入れられている筈ですが、動物の命を守るための『憲法』も『法律』も我が国にはありません。
猫を弱らせ傷つけ殺すなどのヒトに対して、その事を良く思わない決して大きいとはいえない勢力分野が、動物愛護法の罰則を5年毎に少しずつ改善させていますが、罰が重くなっても量刑の執行はされません。
それ等についての善し悪しなどにあまり関心もなく、罰則の執行にも肯定的に見えない多くのヒトの勢力分野に、法の遵法をきつく厳しく強いるには無理や困難が感じられ、国民の公正平等公平などを理由に、大きな罰則や規制などが成立しにくいと思われます。
二つめの例ですが・・・
断続的に続いた大規模災害の際に、ヒト以外の命ある動物が国や自治体の緊急災害救援システムの適用から外され、少なからずの国民が混乱しました。
ここ数年の間には、災害基本法に基づく地域防災計画に『動物』を組み込む自治体が増え、国や自治体の公的な災害対策本部でも動物救済ができるようになりました。
役所は法の執行官といわれます。以前は災害時に動物を救済できる根拠法がないため、例えば役所のほか自衛隊や消防警察などが被災動物に関われなかったので、公的と紛らわしい政府系法人組織などが民間の動物救援本部をその都度立ち上げていました。
現在は法や条例を根拠に、各自治体単位の被災動物救済ができるように変っています。しかしこの仕組みを取り入れていない自治体や、組み込んでいても執行されないことが多いです。
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三つめにほんの一例ですが・・・
平成20年に生物多様性基本法が公布され、平成16年の『外来生物法』が平成25年に改正公布されています。ここでもそれまでは無かった動物愛護法の愛護動物にも関わりを持っているようです。
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【 結 論 】
動物愛護法の罰則や、適切な飼養管理規制などのきつく厳しい改正を求めるのは勿論です。一方、鳥獣保護法で殺そうとする猫が、動物愛護法で命あり守られる猫というような、極めて整合性に欠ける法体系をなくす為に『動物が命有るもの』とする『動物基本法』が求められます。
しかし、動物に値を付け『動物がヒトのために働き、ヒトの役に立つモノ』とする経済社会の巨大な勢力分野や、マスコミやジャーナリストを始め、そのような風潮のヒトビトが国民の大多数を占めます。
そのためもあってか『動物が命あるもの』とする『動物基本法』の制定については、学術的有識者や専門家といわれる方々ですら、その個人のお考えの領域だけで終始します。
ネコノミクスなどと煽りたて、数兆円の経済規模の創造などの風潮気風の高揚や、気運への誘導を謀り続ける社会勢力をことさら苦々しく思うのです。
災害基本法をもとに愛護動物のレスキュー施策が可能になり、生物多様性基本法で外来動物の強い規制が行われ始めたように、『動物基本法』を公布して『動物が命あるもの』を原則としない限り、現行法の改正は欠かせませんがまたその法に多くも望みにくいと思われるのです。
【あとがき/結論に至る四つめの事例・・・】
古い話で恐れ入ります。当時、強い影響力を持つ自治体の動物所管から「出来る訳けがない・・・」といわれていました。飼い主のいない野良猫をこれ以上増やさないために、飼い主の適正飼養や終生飼養管理などと繁殖制限に加えて、生憎飼い主のいない猫になってしまった猫を、ヒトが守りかばえる擁護の方法の一つとして、猫の棲む地域環境の保全にからめた『地域猫対策』の言葉で行い始めてから約15〜20年以上経った現在は、法律にも同対策が取り入れられました。
今は根拠法があるので、各自治体の施策としての地域猫対策が増え始めました。
何年か後には『動物基本法』の公布も想定の範囲と思われます。「人々が必要とするとき、使う人が使い易い法律が作られる」・・・、という法律専門家の言葉を尊敬したいと思うのです。